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王様のブランチで映画コメンテーターとして、活躍しているLiLiCoさん。
私生活では純烈の小田井涼平さんと結婚し、幸せそうな一面を見せてくれています!
しかし、順調に見えるものの、幼少期はいじめに遭い、ホームレス生活を経験していたことが判明。
一体どんなことが理由だったのでしょうか。
この記事ではLiLiCoさんの下積み時代、いじめに遭っていた幼少期、また小田井涼平さんとの妊活について、まとめています!
もくじ
LiLiCo(リリコ)は若い頃演歌歌手だった?
LiLiCoさんは、スウェーデン人の父と日本人の母の間に誕生。
日本の芸能界に憧れたことがきっかけとなり、日本で歌手になるため、18歳のときにスウェーデンから単身来日しました。
当時、日本語がほとんど話せない状態だったLiLiCoさん。
日本語学校へ行くお金もなかったため、日本語は全部テレビから覚えたと話していました。
来日したときに、助けてくれたのはLiLiCoさんの祖母。
LiLiCoさんの祖母は、プロから歌の個人レッスンが受けられる学校を見つけてくれたそうです。
LiLiCoさん自身もポップスを希望していたものの、その学校の先生からは演歌を薦められました。
ここでは、レッスンを積むより舞台で場数を踏んだほうがいいとアドバイスを受け、浜松の事務所に所属。
この時、演歌歌手の付き人をしながら、歌のレッスンを受け、ビアガーデンやカラオケイベントなど、人前で歌うようになり、演歌歌手としてデビューすることとなります。
デビュー後、夢に一歩近づいたものの、仕事はまったく無かったそう。
このとき、浜松の事務所の社長の弟とであるマネージャーがついていました。
このマネージャーはLiLiCoさんの22歳年上の男性で、守さんという方。
守さんは、最初からLiLiCoさんの可能性を誰より信じていました。
行く先々で「絶対売れる!すごい子なんです」と紹介。
しかし、そんな努力をしていても、仕事はずっとドサ回りをしていたスナック営業。
スナックの他にも、キャバレーやイベントなど地道に営業活動を続けていました。
7~8軒ぐらいの営業を飛び込み営業でしていたにも関わらず、当時はノーギャラ。
お客さんからチップを貰えたら助かる、といった状況だったそうです。
そんな時、運転資金も底を尽きてしまい、事務所兼住宅に帰ってくると、差し押さえの紙が貼られていたことも・・
住居を失った2人は、守さんのセドリックで車中生活をするように。
この生活はなんと5年にも及び、いわゆるホームレスのような生活。
食べ物を買うお金もない、もちろんスウェーデンに帰るお金もなかったLiLiCoさんでしたが、夢を諦めることなく歌手活動を続けていました。
車中泊のホームレスから映画コメンテーターへ
そんなLiLiCoさんの転機が訪れたのは、ある雑誌のインタビュー。
それは2001年の冬のことで、LiLiCoさんは当時31歳。
テレビ雑誌の「今週の声優」というコラムで、お気に入りの映画を3本挙げるように求められたLiLiCoさん。
この記事が王様のブランチの放送作家の目に留まり、王様のブランチ内で映画コメンテーターとして、担当するようになります。
ちなみに、LiLiCoさんが映画に詳しくなったきっかけは、スウェーデンに居たとき病弱な弟さんの看病の合間で見ていたため。
現実逃避の手段として、映画館でよく映画を見ていて詳しくなったそうです!
映画コメンテーターとして活動を始めてからも、多い時では年に600本もの映画を観ているLiLiCoさん。
王様のブランチに出演した当時は、どう紹介したらいいのか分からず、放送終了後には落ち込んでいたことも・・
しかし、ある時、プロ、素人、男、女、オカマという5つの立場のLiLiCo目線で観ることに重点を置き、そこから浮かび上がってくるものをコメントするように心がけたそうです。
この考えは2020年現在も、継続されています。
ハーフだといじめられたスウェーデンの幼少期
LiLiCoさんは、スウェーデンのストックホルムで誕生。
本名はアンソフィーさんと言います。
父親がジョン・レノンの大ファン。
日本人女性と結婚したいと夢見ていたところ、バックパッカーの母親と出会い、誕生しました。
しかし、小学5年生のころ、LiLiCoさんはイジメにあうように・・
LiLiCoさんはスウェーデンと日本のハーフのため、周りと比べると顔つきが違いました。
他にも、髪がチリチリでくせっ毛であり、声も低かったことからからかわれることも。
物を隠されたり汚されたりするのは毎日のこと。
縄跳びでぶたれたり、無視されたこともあったと話していました。
しかし、当時イジメにあったことは母に話せなかったそう。
そんな時、唯一の支えとなったのは、愛読していた情報誌の中のスターたち。
他にも、日本に居た祖母から送られてくる、可愛いアイドルたちが載った雑誌を見ることでした。
スウェーデンにはテレビのチャンネルは2つしかなく、放送も夜のみ。
ハーフという理由でいじめに遭っていたものの、日本に行ってアイドルになることを決意しました。
真剣に話し合って妊活諦めたLiLiCo(リリコ)さん
LiLiCoさんは、2017年に純烈メンバーの小田井涼平さんと電撃結婚。
1年前の今日は
純烈のライブでした♬🎤
地方の某県立劇場にて。
私の座席付近には
小田井さんとリーダーが
来てくれました💜💙
白川さんは全く真逆の方向へ😭
白川さんと握手したかった私は
終始、目で追ってたのが懐かしいなあ❤️笑
小田井さんファンの方、
ブレブレの写真だけどどうぞ💙😆笑 pic.twitter.com/dKA3o8aJAk— らぴたん♡ (@kn42195FlyNext) November 12, 2020
実は、LiLiCoさんには過去に結婚歴がありました。
それは、当時30歳のときで相手の男性は一般人。
キャリアを優先したため、結婚から6年後に離婚しました。
その後10年余り仕事が忙しかったLiLiCoさん。
結婚について考えていなかったものの、小田井涼平さんを見たとき「ずっと一緒にいたいと思える人」だと確信。
また、小田井涼平さんと出会ったことをきっかけに、子供が欲しいと思うように。
小田井涼平さんも同じ思いだったため、結婚後すぐに妊活に取り組みました。
妊活をきっかけに大好きな飲酒を控え、野菜中心の食事へ切り替え。
体調はもちろん痩せすぎないように努力をしていたそうです。
しかし、年齢的なことはあり、結婚から時間が経ってもなかなか子供に恵まれませんでした。
妊活を続けている中、LiLiCoさんが大事にしていたのは話し合い。
小田井涼平さんは「子どもがほしい」と言っていても、かなり人気のグループ。
信じて願えばきっと叶う✩.*˚#純烈#酒井一圭#小田井涼平#白川裕二郎#後上翔太#紅白歌合戦2020 pic.twitter.com/txK4QXJKIm
— Azuchan✩.*˚ (@Azupandachan) November 15, 2020
仕事が忙しいこともあり、協力的ではなかった部分もあったそうです。
そこで、本気で妊活を続けるのか諦めるのか、家族会議をすることに。
真剣に話し合った結果、子どものいない人生をともに歩んでいくことを決めたLiLiCoさん。
妊活を辞めたことで、より仕事をがんばりたいと思うようになり、2021年に向けて計画していることもあるようです(^^)
LiLiCo(リリコ)プロフィール
名前:LiLiCo
生年月日:1970年11月16日
出生地:スウェーデン・ストックホルム
職業:タレント、映画コメンテーター
活動期間:1992年 –
幼少期より祖母が日本から送ってくれたアイドル雑誌に興味を持ったLiLiCoさん。
日本のレコードを聴いていくうちに歌手になりたいと思うようになりました。
下積み生活を続けている中、映画コメンテーターの依頼があり、以降はコメンテーターとして活躍。
他にも、映画俳優へのインタビュー、トークイベントやナレーション、など、マルチタレントとして幅広く活躍しています。
2020年現在、夫との間に子供はいないが、発展途上国で暮らす3人の子供の面倒を見ていることを明かしていました。
まとめ
LiLiCoさんの下積み時代、幼少期、小田井涼平さんとの妊活についてまとめました。
一見コメンテーターとして順調そうに活躍していたと思われますが、かなり苦労してきたことがわかりました。
夢を追いかけ必死に努力されてきたことがわかりますよね(^^)
また、小田井涼平さんとは真剣に話し合った結果、妊活は諦めることに。
しかし、発展途上国で暮らす3人の子供の面倒を見ていることを明かしています!
今後の情報にも注目したいと思います。
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