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チームナックスって何者?メンバーは?東京でブレイクしたきっかけは?

チームナックス

俳優5人で結成されている『チームナックス』。

名前だけ聞いたこともあるものの、どういった人が所属しているのかわからない人も多いのではないでしょうか。

また、北海道で活躍するメンバーが東京でブレイクしたきっかけはなんだったのでしょうか。

この記事では、『チームナックス』のメンバーや東京でブレイクしたきっかけについてまとめています!

画像引用)https://www.instagram.com/p/CN0wvpnBrKo/

チームナックスとは

チームナックスとは、1996年3月7日に北海学園大学の演劇研究会に所属し、仲の良かった5人によって結成されたグループ。

 

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当時は1回のみのグループとなっていて、メンバーの大学卒業とともに解散。

その後、再びメンバーの呼びかけによって1997年『RECOVER〜描き続けるもう一つの結論〜』で再結成となりました。

当時は、北海道で舞台公演を行ないながら東京公演も行い、徐々に全国ツアーまで!

また、所属しているメンバーの知名度もあがったことによって、グループの知名度もあがっていくようになりました。

2021年現在は、個々の活動が目立つようになりメンバーが集合するのは、主に3年に1度。

舞台の本公演と北海道テレビ『ハナタレナックス』のロケの時のみとなっています。

チケット入手が困難な演劇集団の1つと言われていて、『日本一チケットが取れない』と言われているほど。

 

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特に地元の北海道では、かなり人気が高く番組やドラマでは高視聴率を記録しています。

ちなみに、グループ名の由来は演劇部の芝居がきっかけ。

森崎博之さんが『ノックス』という役名を演じたとき、力を込めて発音してしまったそうです。

その発音が『ナックス』と聞こえ、演劇研究会の中でブームになりました。

その後、演劇研究会の中でキャラが立ちすぎていた5名が、『ナックス』と呼ばれるように。

それぞれのファンの愛称については、

  • TEAM NACS全体のファンの愛称:『子NACS』
  • 森崎博之さんのファン:『子顔』
  • 安田顕さんのファン:『安田国民』
  •  戸次重幸さんのファン:『子残念』
  • 大泉洋さんのファン:『子猫』
  •  音尾琢真さんのファン:『子魚』

このように呼ばれています。

メンバー紹介

 

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チームナックスのメンバーは5名います。

  1. 森崎博之(もりさき ひろゆき)さん
  2. 安田顕(やすだ けん)さん
  3.  戸次重幸(とつぎ しげゆき)さん
  4. 大泉洋(おおいずみ よう)さん
  5. 音尾琢真(おとお たくま)さん

ここからはそれぞれのメンバーについて紹介します!

①森崎博之


北海学園大学法学部法律学科に入学し、演劇研究会に所属。

当時から演劇研究会活動の傍ら、劇団イナダ組に所属していました。

この他の劇団への出演も精力的にこなしていたところ、1996年に演劇研究会で出会った後輩に出会うように。

他のメンバー4人と会い、1回限りの演劇ユニットとしてTEAM NACSを結成。

大学卒業後は演劇から離れ上京し、証券会社に就職しました。

証券会社ではかなり優秀な成績を残していたものの、就職から9ヶ月で会社を退社。

北海道に戻り、1997年にTEAM NACSを再結成するように。

TEAM NACSの主宰として脚本・演出・出演をこなし、TEAM NACSの精神的支柱を担っています。

 

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TEAM NACSの東京進出後は、他のメンバーと同じく全国区のテレビドラマなどにも出演。

しかし、自身は北海道に残りTEAM NACSのメンバーとは違う形で仕事をすることを決意。

その後は主に北海道に残って活動を続ける事となりました。

②安田顕

 

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北海学園大学に入学し、大学ではジャズ研究会に入部。

しかし、あまりのレベルの高さに退部してしまいました。

最終的には演劇研究会に入り、2学年先輩の森崎博之と出会います。

TEAM-NACSを結成し、解散後は総合病院内の歯科に医療事務員として就職。

職場に慣れることが出来ず、芸能活動に専念するという理由で退職しました。

退職後は、芸能活動と並行してホテルの朝食バイキング等のアルバイトで生活をするように。

その後、TEAM-NACS再結成となりました。

③戸次重幸

 

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1993年に北海学園大学に入学。

演劇研究会に入り、舞台活動を始めるようになりました。

そこでメンバー4人を出会い、1996年に1回限りのユニットとしてTEAM NACSを結成。

大学卒業後は、東京に出て劇団の研究生として役者を続ける予定だったそうです。

しかし、留年中の1997年にTEAM NACSが再結成されどんどん大きくなってしまうことに!

その後は、ローカルタレントをしながらTEAM NACSのメンバーとして活動を続ける道を選択しています。

④大泉洋

 

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市立札幌藻岩高等学校を卒業後、2浪して北海学園大学経済学部経済学科に入学。

当時本来志望していた大学ではなかったため、かなり落ち込んでいました。

このままではマズいと思ったため、演劇部に入部。

そこでメンバーと出会い、ユニット結成となりました。

⑤音尾琢真

 

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高校卒業後、北海学園大学に入学。

当時はバク転も出来て声も良く、歌が好きだったことから俳優を目指すように。

北海学園大学の演劇研究会に所属し、メンバーと出会うようになります。

東京でブレイクしたきっかけは?

2004年『LOOSER〜失い続けるアルバム』で初めて東京公演を行い、東京に初進出。

また、2004年に大手芸能事務所・アミューズと業務提携を行うようになりました。

北海道の仕事はCREATIVE OFFICE CUE、他の仕事はアミューズが手掛ける形に。

 

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東京での仕事について、当時大泉洋さんは反対していたものの、、「北海道の成功例を作って欲しい」と再説得され納得。

他にも大泉洋さんは、2005年ドラマ『救命病棟24時(第3シリーズ)』に初出演しました。

映画やドラマの活躍も増え、全国的に活動するようになりました。

東京進出したことによって、東京の他の劇団の舞台を見たり他の俳優の影響を受けることが増えてきました。

そこでメンバー同士もぶつかることも多くなり、メンバー中にはあまり良い空気が流れないことも。

このとき解散も考えたことがあったものの、結成20周年を迎えた2016年頃からメンバー全員がNACSとして半永久的に活動を継続する意向を示すようになります。

北海道での活躍

北海道での活躍をまとめてみました。

 

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  • 1990年4月:森崎博之さんが入部
  • 1992年12月:安田顕さんが入部
  • 1993年4月:戸次重幸さん、大泉洋、音尾琢真さんが入部

5人揃ったのは、1993年4月のこと。

演劇研究会に入部したものの、それぞれの第一印象はあまり良くなかったそうです。

 

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しかし、モノマネなどを通し5人が仲良くなるように!

一緒に過ごすことが多くなり、旅行に行くまでの仲に発展。

1996年3月には、安田顕さん以外の4人が所属していた稲田博さん主宰の劇団イナダ組の予定されていました。

しかし、脚本が間に合わず、延期。

この時、イナダ組側から押さえてあった劇場で公演をやったらどうかと提案を受けました。

そして、大学を卒業する森崎博之さんと安田顕さんの卒業制作として、思い出作りに旗揚げ解散公演と銘打ち公演を行いました。

札幌の小劇場で、『LETTER〜変わり続けるベクトルの障壁〜』を行ったことが始まりとなり、その後も活躍。

再結成のときは、大泉洋さんは演劇か就職かかなり迷っていました。

しかし、森崎博之さんの「人生なんとかなる」という言葉に乗り、チームとして活躍するように!

 

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再結成当時は、安田顕さんと大泉洋さん以外の3人は、CREATIVE OFFICE CUE所属ではありませんでした。

そのため、メンバーが揃っての活動が困難だったものの、当時のCREATIVE OFFICE CUEの社長に直談判。

大泉洋さんと安田顕さんは、「5人で活動がしたい」伝え、1999年にフリーで活動していた森崎博之さんが加入。

2000年には、他の事務所に所属していた戸次重幸さんと音尾琢真さんが移籍。

晴れて全員がCREATIVE OFFICE CUE所属となりました。

また、1996年から2002年までレギュラー放送された『水曜どうでしょう』など、メンバーそれぞれが北海道各局のテレビ番組・ラジオ番組に出演。

この番組のヒットをきっかけに、大泉洋さん目当てに演劇に関心のない人が足を運ぶようになりました。

2002年には『WAR〜戦い続けた兵たちの誇り』を公演。

演劇文化が活発でない北海道では異例の9500人を動員しました。

 

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2000年代はじめには北海道内で圧倒的人気を確立するように!

その後、2002年の本公演『WAR〜戦い続けた兵たちの誇り』を観劇。

2年後に東京で舞台公演を行ってほしいという誘いを受けた事をきっかけに、東京進出の準備に入りました。

まとめ

『チームナックス』のメンバーや東京でのブレイクについてまとめました。

大泉洋さんが俳優として有名ですが、2021年現在は他のメンバーもかなり活躍するようになったかと思います。

1回限りの公演がその後もずっと続くなんてすごいですよね!

北海道でももちろん、東京でも活躍するぐらい大きなグループとなったことがわかりました。

今後の活躍にも注目したいと思います。

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