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おちょやんの栗子役は宮澤エマ!ハーフで祖父は総理大臣!超セレブな家族構成。

宮澤エマ

画像引用)https://www.instagram.com/p/CIRuPTXlcjy/

『おちょやん』の栗子役で演技力が凄いと話題になっている、宮澤エマさん。

宮澤エマさんはハーフですが、家族構成がかなり豪華であることが判明しました!

祖父は総理大臣、父はアメリカ人で元駐日代理大使、母は会社経営者など超セレブな家族構成。

果たして宮澤エマさんの家族は、どのような人なのでしょうか。

この記事では宮澤エマさんの『おちょやん』での活躍、華麗なる家族構成についてまとめています!

おちょやんの栗子は宮澤エマ

2021年、NHKで放送されている連続テレビ小説『おちょやん』。

このドラマで、宮澤エマさんは杉咲花さん演じる千代の継母である栗子役で出演していました。

なかでも宮沢エマさんの演技が話題となったのは、4月28日に放送された回。

千代に対して、長い間抱えてきた自責の念を抑えた演技で表現し、視聴者からも感動したという意見が多くあがっていました。

宮沢エマさんは、かなり早い時期からミュージカルの舞台で活躍。


今回『おちょやん』で話題となった演技力も、舞台で培ったものと言われています。

さらに驚くことに、宮澤エマさんの年齢を重ねた女性の演技力はかなり自然なもの。

少し丸くなった背中や、ゆっくりとした動作、そして視線の動きなど、まるで昔に経験していたかのように演じていました。


宮澤エマさんがドラマに登場したとき、Twitterでは『宮澤エマ』と『栗子さん』がトレンドワード入り!

実際の年齢が32歳であるにも関わらず、年齢を重ねた役が全く違和感なく演じていたため、絶賛の声が多くあがっていました。

ハーフで祖父は総理大臣。

のちにご紹介しますが、宮澤エマさんはアメリカ人の父と日本人の母の間に誕生。


つまり、ハーフということになります。

また、宮澤エマさんの祖父は総理大臣でした。

その祖父というのが、第78代内閣総理大臣の宮澤喜一さん。

 

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祖父の宮澤喜一さんは、1942年1月に大蔵省に入省。

1949年には池田勇人蔵相秘書官として、講和条約の準備交渉に携わっていました。

1952年、本人にはすぐに政界へというつもりはなかったものの、池田勇人さんの強い勧めで政界へ。

1953年、第3回参議院議員通常選挙に広島県選挙区から出馬し当選となりました。

その後、参院議院運営委員長などを経て、1962年第2次池田改造内閣では経済企画庁長官として初入閣。

テレビでの政治討論会など積極的に出演し、若手政治家として注目されるようになりました。

1967年には、衆議院に鞍替え出馬して第31回衆議院議員総選挙に当選。

その後は通産相、外相、総務会長などの要職を歴任していました。

鈴木内閣では内閣官房長官を務め、政界で活躍。

次代の中曽根内閣期まで、安倍晋太郎さん、竹下登さんなどと共に「ニュー・リーダー」と称されたグループの1人となりました。

1987年、中曽根氏の後継者の座を安倍晋太郎さん、竹下登さんと争う形に。

その結果、中曽根氏の裁定により竹下登さんが総裁に就任しました。

 

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宮澤喜一さんは、竹下内閣に副総理兼蔵相として入閣。

消費税導入に尽力したものの、1988年リクルート事件が発覚。

未公開株の譲渡について倫理的責任を問われ、大臣を辞任しました。

1991年、海部俊樹首相の退陣に伴う総裁選挙で勝利。

72歳にして内閣総理大臣に就任となります。

参議院議員経験者としては、初めての内閣総理大臣となり官僚出身の最後の総理ともなりました。

2000年代に入ると、ITバブルの崩壊とともに不良債権問題が再燃。

森内閣の退陣とともに、宮澤喜一さんも退任となりました。

華麗なる家族構成

宮澤エマさんの家族構成は、両親と姉1人。

姉は宮澤サラという方で、宮澤エマさんの5歳年上です。


仕事内容は、ビジネスウーマンのためのウェディングドレスを制作する会社を起業しています。

2015年に結婚していることが判明しました。

ここからは、宮澤エマさんの両親についてご紹介します。

宮澤エマの母親はジュエリー会社の社長!

宮澤エマさんの母親は、先ほどご紹介した宮沢エマさんの祖父の長女。

宮澤啓子さんという方で、ジュエリーの輸入や通販ビジネスを行う会社の代表取締役をしています。

慶応大学法学部卒業後、コロンビア大学でMBAを取得。

その後、フランスに留学後しドイツ・ルフトハンザ航空のCAとして国際線に乗務していました

そして、外資系化粧品会社の 広報・広告ディレクターとして活躍。

そこで、現在の旦那さん(宮澤エマさんの父)と出会い、結婚しました。

夫の転勤に伴い、フランス・パリで森英恵氏のプレタポルテ販売会社に勤務。

このことをきっかけに、ファッション業界で働くようになります。

1992年に、現在代表取締役を務める会社を設立。

宮澤エマさんの母親が、トラベルジュエリーのコンセプトを日本に広めようと思ったきっかけは、 自身の体験が原点。

アクセサリーのような気軽さで、本格的なジュエリーを楽しみたいと思ったことがきっかけで会社設立に繋がったそうです。

父はアメリカ人で元駐日代理大使

宮澤エマさんの父親は、クリストファー・ラフルアーさん。

アメリカ人で、元駐日代理大使という外交官でした。

米国大使を務める以前は、

  • 米国国務省ベトナム、ラオス、カンボジア担当オフィスディレクター(1991-1993年)
  • 在台湾米国協会の副理事(1993-1997年)
  • 在日米国大使館首席公使(1997-2001年)
  • 米国国務省 東アジア・太平洋地域担当首席次官補(2001-2003年)

などを歴任。

2011年にLMアソシエイツ設立した、クリストファー・ラフルアーさん。

現在は、

  • 在日米国商工会議所(ACCJ)特別アドバイザー、
  • DTCC データ・レポジトリージャパン株式会社会長
  • マクラーティ・アソシエイツのシニアディレクター
  • ツネイシホールディングス株式会社の社外役員
  • 日米協会の副会長
  • 日米研究インスティテュート
  • アショカ・ジャパンの諮問委員会の委員

を兼任しています。

宮澤エマ プロフィール

  • 名前:宮澤 エマ
  • 生年月日:1988年11月23日
  • 出身地:東京都
  • 活動期間:2012年 –
  • 事務所:プロダクション尾木

幼稚園の年少から年長まで父親の仕事の関係でアメリカで暮らしていた、宮澤エマさん。

帰国し、森村学園初等部、聖心インターナショナルスクールを卒業しました。

そして、アメリカ合衆国カリフォルニア州のオクシデンタル大学で宗教学を専攻。

大学3年の時にはケンブリッジ大学へ留学しています。

幼少期から、歌やお芝居が大好きだったため、歌手に憧れてボイストレーニングなど10年以上勉強を続けていました。

大学入学時に、1度レッスンから離れたもののケンブリッジ大学留学中にビッグバンドのボーカルを担当。

音楽に触れる機会が多くありました。

そこで、自分を表現する仕事に就きたいと強く思い、オクシデンタル大学卒業後の2012年春に芸能界へ。

初めてのテレビ出演は『ネプリーグ』。

当時、同じ総理の孫という立場でもあるDAIGOさんと共演していました。

芸能界へ入り、主にバラエティで活躍。

芸能界での活躍が増えると、宮澤エマさんが歌っている姿が宮本亜門さんの目に留まりミュージカルのオーディションへ。

その時に受けた作品は『スウィーニー・トッド』という作品でした。

当時の役には合っていないということから不合格となったものの、『メリリー・ウィー・ロール・アロング〜それでも僕らは前へ進む〜』のメアリー役に抜擢。

その後は舞台作品への出演を重ねています。

まとめ

『おちょやん』の栗子役で演技力が凄いと話題になっている、宮澤エマさん。

宮澤エマさんのはっきりとした顔立ちは、ハーフであることが大きいようですね!

また、家族構成について調査するとかなり豪華でした。

祖父は総理大臣、父はアメリカ人で元駐日代理大使、母は会社経営者など超セレブな家庭。

特に父親に関しては、肩書きが多くたくさん兼任しているようですね!

今後の活躍にも注目したいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!