アナウンサーとして活躍し、好感度も非常に高いことで有名な桝太一アナウンサー。
大学時代はどのような勉強をしていたのでしょうか。
また、他にもアナウンサーになった理由やフリーにならない理由について調査しました!
この記事では、桝太一さんの大学時代やアナウンサーになる経歴についてまとめています。
もくじ
桝太一は大学で何を勉強してたの?
大学時代は主にアナゴの研究をしていました。
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実は当時、卒論に向けて所属する研究室を選ぶ際、ジャンケンに負けてしまったそうです。
募集枠1名のところに複数の応募者があり、公平にじゃんけんをした結果、負けてしまい第2志望の研究室へ。
その研究こそがアナゴの研究でした。
主な研究対象は、アナゴの頭骨の中にある耳石。
アナゴは幼生から稚魚に変態するときに耳石の成長線が変化しますが、成魚の耳石からその変態前後の過程を追えるのではないかというのが研究内容だったそうです。
また、桝太一さんは大学時代『海洋研究会』というサークルに所属。
このサークルは、西表島でスキューバダイビングをすることが出来るサークル。
研究室を選ぶときに『西表島に行ける』という条件で探していたことから、このサークルに入部することを決意したしそうです。
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大学院生になるとアサリの研究をしていた桝太一さん。
大学院でも同じような手法でアサリの研究をしていました。
アサリも稚貝を調べて、その成長線がどのくらいのペースでできるのかを知るという内容。
アナゴについてはあまり良い結果が得られなかったものの、アサリについては基本的に1日に2本という結果に。
このことを知るだけでも、大学院生時代の2年間は、ほぼアサリ漬けの毎日だったそうです。
アナウンサーになった理由とは?
大学時代は研究する毎日だったため、将来は研究者を夢見ていた桝太一さん。
他にも幼少時に生物博士になりたいという夢があったため、このまま研究を続けるか就職するのかかなり迷っていました。
そこでどちらか1本に選択するため、大学院1年生のとき西表島に行くことに。
しかし、仮に研究者としてこの島に来た仮定したとき、生涯暮らすことに物足りなさを感じる自分が居ました。
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また、大学院にはすごい人たちがたくさんいることも大きな理由の1つ。
ここで覚悟が出来ないのであれば研究者は無理だと考え、メディアに就職することを決意した桝太一さん。
メディアを選んだ理由は、理系の知識がたくさんあるため難しい科学などの話をわかりやすく伝える懸け橋にはなれるのではないかと考えたため。
当初はNHKのドキュメンタリー番組が好きだったこともあり、テレビ番組のディレクターを夢見ていました。
その前にメディアのことが少しでもわかればと思い、アナウンサー試験にエントリー。
そこで幸運にも縁があり見事アナウンサーになることに!
これまで黙々と研究してきた日々と比較すると、アナウンサー業は真逆の仕事。
そんなこともあり、これは自分の殻を破るチャンスだと思い入社を決めたそうです。
ただ、入社したものの入社1年目はかなり尖っていたそう。
先輩に対しても「この研修は意味ないと思います」と言ったり、ふてぶてしい態度をとっていたそうです。
そこでベテランの藤井貴彦アナウンサーが注意するも反発。
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温厚な藤井アナウンサーが突き放すと、桝太一さんは自身の取った行動について反省し、翌日謝罪したというエピソードがあります。
フリーにならない理由とは?
一方でフリーアナウンサー転身説も噂されています。
NHKの『ダーウィンが来た! 〜生きもの新伝説〜』や、TBSの『日立 世界・ふしぎ発見!』に出演したいという目標があると話していました。
また、同期や周囲のアナウンサーでもフリーに転身した人も多くその影響も大きいようです。
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フリーになると、放送局が限られるだけではなくCM出演も可能になります。
そうなると年収アップにも繋がりやすいですよね!
現状よりも収入を上げるためにフリーになる人も多いと言われています。
放送局に正規雇用されている局アナウンサーは高収入、高待遇であることが有名。
桝太一さんの場合もかなり収入面では高い方かと思います。
しかし、アナウンサーという肩書はあっても、民放の場合は会社員。
どれだけ人気が出たり実力が高かったとしても、1人だけ年収が大幅にアップするということはありません。
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他にも、局アナウンサーは基本的にどの番組を担当するかは会社によって決められます。
そのためニュースを担当したいと考えていても、経済番組など違う担当になることも。
他にも配置の関係で担当番組が変更する可能性もあります。
これに対しフリーのアナウンサーの場合は人気や実力に応じて収入が大幅にアップする場合があります。
局の縛りもないため、人気があれば多くの番組に出演出来るということですね。
しかし、その反面でボーナスはなくなり、月々の家賃補助や福利厚生などを受けることはできません。
他にも、人気がいつまで続くのかという不安定な面も。
仕事がなくなれば一気に収入が減ってしまう可能性もあるため、リスクがあります。
そのため、フリーになるにあたっては慎重な判断が求められことになりますね。
桝太一さんの場合、過去にフリーアナウンサーについて奥さんに相談したとき「絶対許さない」とNGのような返事があったそうです。
奥さんから「子供が成人したらいいけどそれまでは絶対に許さない」と言われた桝太一さん。
お子さんの年齢については詳しく明かされていないものの、2011年生まれという情報があります。
そのため、2021年時点で10歳。
あと10年はフリーになる可能性は低そうですね。
桝太一 プロフィール
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- 名前:桝 太一(ます たいち)
- 生年月日:生年月日 1981年9月4日
- 出身地:千葉県
- 活動期間:2006年 –
麻布中学校・高等学校を卒業した桝太一さん。
その後、東京大学農学部水圏環境専修卒業し東京大学大学院農学生命科学研究科を修了しました。
2006年に日本テレビに入社。
同期入社は次の3名となっています。
- 青木源太さん
- 葉山エレーヌさん
- 松尾英里子さん
スキューバダイビングライセンスと潜水士の資格を持っていて、200本以上の潜水経験の実績がある桝太一さん。
2010年4月3日より『ズームイン!!サタデー』のスポーツコーナーを担当。
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2011年には、平日朝の情報番組『ZIP!』の総合司会に抜擢されました。
『ZIP!』の総合司会と同時に『全国高等学校クイズ選手権』の4代目総合司会も担当。
2011年2月25日、一般女性と結婚。
2011年7月16日公開の映画『コクリコ坂から』にて生徒役として声優デビュー。
翌年には『ALWAYS 三丁目の夕日’64』で俳優デビューも果たしています。
2012年9月から『快脳!マジかるハテナ』の司会として初のゴールデン番組の司会を担当。
2013年2月2日・3日はNHKと日本テレビが共同制作した『60番勝負』の日本テレビ側司会として出演。
NHK総合テレビ『あさイチ』にも出演し、このときNHKに初出演となりました。
2013年には『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』の総合司会を担当。
『好きな男性アナウンサーランキング』では、2011年から5年間、1位に選ばれ殿堂入りとなっています。
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2021年、番組開始当初から総合司会を務めてきた『ZIP!』を卒業。
『真相報道 バンキシャ!』の総合司会に就任となりました。
まとめ
桝太一さんの大学時代の経歴や、アナウンサーになった理由についてまとめました!
桝太一さん=アサリという印象を持つ人も多く、そのぐらい熱心に研究されていたことがわかりますね。
研究者の夢を諦めたのは、周りにすごい人が多かったことが判明しました。
フリーに転身する可能性もあるかもしれませんが、お子さんが成人するまでは現状のまま活躍するのではないでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございました!